10年を経て「インダストリー4.0」の構想が実現へ
10年前からドイツが産学官の総力を挙げて推進してきた「Industrie 4.0」。世界的に大きな反響を呼んだが、日本ではインダストリー4.0という言葉はもはやほとんど聞かれなくなった。
しかし、‘本家’のドイツは今でも当初に描いた構想の実現に地道に取り組んでいる。
- 【‘ハイプ’から‘ファクト’に】 「Industrie 4.0」がハイプ(過剰宣伝)された時代はとうに終わったが、バリューチェーン上の異なる工場・企業間をデジタルデータで相互につなぐという、当初の構想が実現しつつある
- 【段階的に進行】 管理シェル(AAS)、デジタルネームプレート(DNP)・デジタル製品パスポート(DPP)、GAIA-X、Catena-X、Manufacturing-Xなど、インダストリー4.0の実現に向けて着々と駒を進めている
- 【時事的なテーマに対応】 当初は製造業における効率・競争力の向上が主な狙いであったが、近年では気候保護・持続可能性に関する規制への対応とサプライチェーンの強靭化もデジタル化・データ連携の主目的になっている。さらに、(これまで共有されていなかった)産業データを基に、産業用AIの開発・活用を促進する狙いもある。
インダストリー4.0とデータスペースの
「技術サプライヤー」
フラウンホーファーIOSBは欧州最大の応用研究機関であるフラウンホーファー協会の研究所の1つで、自然科学・工学の研究で名高いカールスルーエに拠点を置く。
同研究所の自動化・デジタル化の事業ユニットは、インダストリー4.0イニシアティブに発足当初から携わっている。その中心的な部署の1つがDr. Thomas Usländerが率いる、情報管理・生産制御部門。
インダストリー4.0の「技術サプライヤー」として、Catena-Xなどで使用される分散型・連合型の生産ネットワークの基盤技術「Smart Factory Web(SFW)」、(IDSコネクタ/データスペースコネクタと共に使用できる)管理シェル(AAS)ベースのデジタルツインのツール「FA³ST」などを開発・提供している。日本企業との連携にも関心が高い。
(Catena-XやManufacturing-Xの)データスペースでは、オープンスタンダード、オープンシステムアーキテクチャ、オープンソースソリューションが重要となる。まさにこれは、フラウンホーファーIOSBが以前から手掛けている分野だ。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
データ連携の最大の課題を克服できるか
バリューチェーン上で企業の垣根を越えてデータ連携するためには、(全ての機械にセンサーを搭載したり、生産をデジタル制御したりする)技術的な問題よりも、マインドセット(固定化された思考・行動パターン)と企業文化を根本的に変えることがかねてから最大の課題となっていた。
Catena-Xなど製造業データスペースの大きな課題は、デジタル化が遅れている中小企業にも参加してもらうこと。従来のようにOEM・大企業が中小のサプライヤーに参加を強要しなくても、サプライチェーンやCO2排出に関するEUの規制の影響やサプライチェーン強靭化のために、多くの中小企業が自主的に参加するようになるのが理想的だ。
従来のようなピラミッド型ではなく、OEM・大企業と中小のサプライヤーが対等の立場になるエコシステムをデータスペースでは目指している。自動車業界の従来の考え方・物の見方を変えて、データを共有し合う透明性のあるエコシステムに変革することが大きな課題だ。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
ここ数年、ドイツ・欧州の企業は持続可能性・気候保護・人権(に関するEUの新しい規制)への対応、パンデミックやウクライナ戦争などによるサプライチェーンの中断など、自社のデータだけでは解決・対処できない課題に直面。近い将来、企業はサプライチェーンに人権や環境面で問題がないかどうか報告し、原材料から廃棄・リサイクルまでの製品のCO2排出量データを提供しなければならなくなる。さらに、グローバル化の再編が余儀なくされる中、供給ボトルネックを早期に特定し適切に制御・対処するなど、サプライチェーンの強靭化が必須となった。
また、AIが飛躍的に発展する中、工業生産でのAIの開発と活用を促進するためには、データ共有が不可欠となる。
必要に迫られて、バリューチェーン上で企業の垣根を越えてデータ連携する企業が雪だるま式に増えるとみられている。
「サプライチェーン強靭化」と「持続可能性」に対応
企業にデータ共有を促すために、製造業の有力データスペースとなるCatena-XやManufacturing-Xでは業界全体が気にかけているテーマ、すなわち持続可能性とサプライチェーン強靭化に関連するユースケースに焦点をあてている。
我々は今後とも、サプライチェーンの強靭性と持続可能性のテーマに焦点をあてる。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
サプライチェーン強靭化のユースケースの1つがMaaS(Manufacturing as a Service)である。Catena-Xでは、フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産管理部門が2016年から開発しているMaaSのオープンなマーケットプレイスの参照アーキテクチャ「Smart Factory Web」が実装される。
Catena-Xのユースケース「MaaS」で実装される「Smart Factory Web」の特徴
- (グローバルレベルで)連合化されたエコシステム内で工場のネットワークを形成することで、生産能力の柔軟な調整と生産リソース/アセットの共有が可能になる。生産ニーズとそれらのニーズを満たすために利用可能な世界中の生産能力をマッチングすれば、生産・サプライチェーンの強靭性が向上する
- オープン性の原則に基づき、国際的な標準(OPC UA、AutomationML、管理シェル、IDSコネクタなど)を可能な限り使用することで、プラットフォームのベンダーロックインを回避する。個々の工場だけではなく、「ネットワークのネットワーク(Network of Networks)」のコンセプトに基づき、(mipartなど)既存の商業的なMaaSプラットフォームも連合化された生産エコシステムに統合する
- 強靭化に加えて気候保護のテーマにも対応。生産・輸送など全てを含めたCO2排出量の少ないサプライチェーン(ある特定の製品・部品の生産ニーズを満たすために利用可能な工場の組み合わせ)を検索・選択できる
- Smart Factory Webアーキテクチャの枠組みで、(EUの「持続可能な製品のためのエコデザイン」規則案で導入が予定されている)デジタル製品パスポート(DPP)を実装するためのアプローチにも取り組んでいる
- Catena-Xに続いてManufacturing-XでもSmart Factory Webが使用されるという。欧州で最も有力なオープンなMaaS参照アーキテクチャとして、事実上の標準に発展しつつある
データ共有の事実上の標準化が進む
■ IDSコネクタ/データスペースコネクタ(VS ブロックチェーン)
Mobility Data Space、Catena-X、SCSN、Manufacturing-Xなど、欧州におけるデータ連携の有力なエコシステム(いわゆるデータスペース)では、主権のある安全なデータ共有のために(GAIA-Xのベースでもある)IDSコネクタ/データベースコネクタを使用する。
いわばUSBケーブルのような標準化された「データプラグ」で、2016年よりIDS協会/フラウンホーファーが開発してきた。(データスペースの各参加者側にセットアップすべき)分散型ソフトウェアコンポーネントとして、参加者間のP2P接続を可能にする。このコネクタを使用することで、データを提供する全ての企業・組織は誰と・いつ・どの目的で・どのデータを共有するか個別に(技術的に)定めることができる。
データ主権の原則に基づき、データスペースコネクタを用いて共有されるデータを技術的に制限することで、データ共有の抵抗感を少なくする。例えば、取引先から共有されたデータがサプライチェーンのCO2を計算する目的にのみ技術的に利用可能で、その後は自動的にデータが消去される。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
ただし、100%のデータセキュリティがないのと同様に、IDSコネクタ/データスペースコネクタでも100%のデータ主権は可能でない。例えば、データ取引の追跡可能性(トレーサビリティ)や利用規約の権利行使可能性は、コネクタで実行されるアプリケーションにおいてのみ可能である。つまり、データがコネクタ実施のシステムチェーンを離れたら、そのどちらも保証されない。IDSコネクタ/データスペースコネクタの趣旨は、データ供給者が契約上・法律上のルールのみに頼らなくて済むように、データ主権を守るための技術的に可能な範囲を広げることである。
分散化されたデータ共有にブロックチェーン技術を使うことも基本的には可能である。実際、シーメンスが中心となって立ち上げたCO2排出量のデータを交換するためのエコシステム「Estainium」はブロックチェーン技術に基づく。フラウンホーファーIOSBのDr. Thomas Usländerは、IDSコネクタ/データスペースコネクタとブロックチェーン技術は競合するのではなく、補完的な関係にあるとみる。
IDS/データスペースコネクタとブロックチェーン・DLTはデータ共有に際して技術的に競合するのではなく、互いに補完する。
ブロックチェーンは電力消費量が大きいため、2者間の直接的な主権のあるデータ交換には向かない。第3者から共有されたデータの整合性(改ざんされていないこと)の証明、過去に行われたデータ共有の証明が必要な場合、ブロックチェーン技術・DLTの利用が考えられる。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
■ 管理シェル(AAS)
ドイツの産学官連携のインダストリー4.0推進組織「Plattform Industrie 4.0」が長年開発してきた管理シェル(AAS)が、製造業の有力データスペースであるCatena-XやManufacturing-Xで使用される。
例えば、MaaS(Manufacturing as a Service)のユースケースにおいて、生産アセット登録に管理シェルを使用すれば相互運用性が向上、登録がスピードアップ、登録情報のメインテナンスも容易になる。管理シェルのコンセプトとメタモデルはIECレベルで標準化されつつあるため、管理シェルのアプローチによりアセットの登録情報が正しく理解され、アセットの登録プロセスの自動化の度合いが高められる。
「インダストリー4.0 コンポーネント」を定義するという当初のアイデアから、インダストリー4.0 コンポーネントの仮想部分のメタモデルとして管理シェル(AAS)のコンセプトが生まれた。
現在では管理シェルの構造モデルは高度に成熟し、IEC(IEC 63278シリーズ)で標準化され、産業界で普及してきた。
Catena-Xにおいて、管理シェル(AAS)がデータスペースでは初めて使用される。
Dr. Thomas Usländer (フラウンホーファーIOSB 情報管理・生産制御部門のトップ)
EUのデジタル製品パスポート(DPP)に関する新しい規制案に対応するために、製品カーボンフットプリント(PCF)や製品の環境データを記述するための管理シェル(AAS)サブモデルテンプレートの開発が産業用デジタルツイン協会(IDTA)にて進んでいる。
AAS、DPP、GAIA-X、Catena-X、Manufacturing-Xの関係
(インダストリー4.0の推進組織)
- 目的: 産学官連携でインダストリー4.0を推進・発展させること
- 発足: 2013年
- メンバー: ドイツ機械工業連盟(VDMA)、ドイツ電気電子工業連盟(ZVEI)、ドイツ情報通信協会(Bitkom)とそれらの会員企業が中心。現在、150以上の企業・協会・組合・学術機関・政治機関が参加
- 主な成果物: 参照アーキテクチャモデル RAMI4.0、管理シェル(AAS)など
(管理シェル・デジタルツインの推進組織、Plattform Industrie 4.0のスピンオフ)
- 目的: インダストリー4.0における相互運用可能なデジタルツインを実現するために、Plattform Industrie 4.0の管理シェルをさらに発展させ、国際的に普及させること
- 発足: 2021年
- メンバー: ドイツ機械工業連盟(VDMA)とドイツ電気電子工業連盟(ZVEI)が主導。その他 、ドイツ情報通信協会(Bitkom)やインダストリー4.0分野の企業(シーメンス、ボッシュ、SAPなど)が参加している
- 主な成果物: 管理シェルの中味を構成する、様々なサブモデルのテンプレートを開発。製品カーボンフットプリント(PCF)や製品の環境データを記述するためのサブモデルテンプレートにも取り組んでいる。ドイツ電気電子工業連盟(ZVEI)と共同で、管理シェルをベースとしたインダストリー4.0のためのデジタル製品パスポート(DPP4.0)を利用可能にする準備も進めている
(データスペース標準に関するイニシアティブ)
- 目的: 企業や業界の壁を超えた、安全で信頼できるデータ交換のためのデータスペースの標準・技術仕様を開発すること
- 発足: 2014年
- メンバー: フラウンホーファー研究機構を中心とした、ドイツの産学官連携プロジェクトとしてスタート。現在は、(欧州を中心に)世界22ヵ国の様々な業界・分野の130以上の組織(企業・機関・団体)が加盟
- 主な成果物: データスペースのための参照アーキテクチャモデル「IDS-RAM」、IDSコネクタ
(欧州のデータインフラのガバナンス的なイニシアティブ、元々はPlattform Industrie 4.0から派生)
- 目的: 欧州の価値観(オープン性、透明性、信頼性)に沿った、次世代の分散型・連合型データインフラのガバナンス的枠組み(ガイドライン、ポリシー、ソフトウェアフレームワーク)を開発・提案すること
- 発足: 2020年
- メンバー: ドイツがインダストリー4.0の流れで構想を発表し、フランスと共同で推進。2021年にブリュッセルにGAIA-X協会を設立。現在は(欧州を中心に)世界25ヵ国以上の様々な業界・分野の約360の企業・機関・団体が加盟
- 主な成果物: 事実上の「GAIA-X標準」、連合化サービスのためのオープンソースのソフトウェアコード
管理シェル(AAS)
機械や製品などの物理的なモノのデジタルツインで、インダストリー4.0の中心的なコンセプト。Plattform Industrie 4.0、特にドイツ電気電子工業連盟(ZVEI)が中心となって2015年から継続的に開発している。
管理シェルには、静的情報(物理的構造、機能、仕様、製造者情報など)と動的情報(現在の状態、運用データ、センサーデータ、メンテナンス履歴、他のリアルタイムデータ)の両方が含まれる。
標準化することで、異なるシステムや企業間の相互運用性とデータ交換を可能にする。Catena-XやManufacturing-Xといった製造業のデータスペースでも使用される。
デジタル製品パスポート(DPP)
EUの規制案「持続可能な製品のためのエコデザイン」で、デジタル製品パスポート(DPP)導入が予定されている。
DPPはいわば製品の「電子パスポート」で、製品の特性、材料構成、原産地、製造方法、使用目的、メンテナンス方法、リサイクルの可能性など、製品に関する包括的な情報が含まれる。さらに、エネルギー効率、環境への影響、他の持続可能性に関連する情報も把握される。
DPPは現在まだ開発・試験段階にある。EUはDPPの基準、プロセス、技術要件を定義するために、企業・業界団体・研究機関など様々な関係者と緊密に連携し、調和を図っている。
このEU規制案は2024年に最終的に承認される見通し。2026年に発効し、(電池を始めとする)一部の製品カテゴリーに適用される。2030年には、DPP規制が多くの製品カテゴリー・業界に展開される予定。
IDSコネクタ
データ交換のインターフェイスで、データスペースの中心となる技術コンポーネント。IDS協会/フラウンホーファー研究機構が2016年より開発している。
ソフトウェアベースのインターフェイスとして機能し、データスペース内の安全性・信頼性の高いデータ交換を円滑にする。このコネクタを使用することで、データを提供する全ての企業・組織は誰と・いつ・どの目的で・どのデータを共有するか個別に(技術的に)定めることができる。
IDSコネクタは、様々な企業・組織で実装可能な技術的コンセプトである。例えばCatena-Xでは、IDS協会/フラウンホーファーが開発したオープンソースの「IDSコネクタ」を拡張した「データスペースコネクタ(EDC)」を使用する。データスペースコネクタ(EDC)とIDSの従来のコネクタの主な違いは、通信がメタデータ用のチャネルと実際のデータ交換用のチャネルに分割されること。
事実上の「GAIA-X標準」
GAIA-Xポリシー ルール ドキュメント、GAIA-Xアーキテクチャ ドキュメント、データスペース原則などのドキュメントが、事実上の「GAIA-X標準」を形成する。
IDSの標準(IDS-RAM、IDSコネクタ)はGAIA-Xの中心的要素である。IDSではデータ共有の際のデータ主権に焦点を絞っているが、GAIA-Xではそれに加えてデータの保存やクラウドインフラに関するデータ主権も含めている。
GAIA-Xに準拠するデータスペースには、ドイツ政府の提案で始まったMobility Data Space、業界主導のイニシアティブ(Catena-X、Manufacturing-X、SSCNなど)が含まれる。
Catena-X(自動車業界のデータスペースイニシアティブ)
- 目的: (原材料のサプライヤーからリサイクル企業に至るまで)自動車産業のバリューチェーン全体でデータエコシステムを構築し、企業の垣根を超えた安全で信頼できるデータ交換を可能にすること
- 発足: 2021年
- メンバー: ドイツの自動車業界を中心に、現在は(米国やアジアなど)非欧州の企業も含む約150の企業・組織がCatena-X協会に加盟(2023年4月の時点)
- 主な成果物: データスペースコネクタやCatena-Xポータルなどの技術基盤、持続可能性やサプライチェーン強靭性など目下の主要テーマに関するユースケース(10件)とそのためのパイロットアプリ
Manufacturing-X(製造業全体のデータスペースイニシアティブ)
- 目的: インダストリー4.0のデータエコシステムを構築すること
- 発足: ドイツの産学間の共同イニシアティブとして、2022年9月よりPlattform Industrie 4.0が中心になって準備を進めている。2023年中に協会を設立する予定
- メンバー: Plattform Industrie 4.0の中核メンバー(ドイツ機械工業連盟(VDMA)、ドイツ電気電子工業連盟(ZVEI)、ドイツ情報通信協会(BITKOM)、ドイツ産業連盟(BDI)、ドイツ経済・気候保護省、フラウンホーファー研究機構、SAP、機械メーカーなど)が主体